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理事長の独り言

 

 

 

【アラ古希有効活用】 平成30年11月10日(土)

★シャンソンの語り身にしむ齢かな★

最近ですが新聞に「アラ古希」正社員100万人時代へ・・・団塊世代が戦力にと掲載。

※因みに66歳~74歳の人口は1767万人(2017年)

ジジババをいつまで働かせる気ーー?!・・・いやいや、

実は、この記事を読んだ、当事者である「アラ古希」の私はこの社会の動きは大歓迎です。

国が抱える問題「医療費」「認知症」「介護」「自殺」「労働人口不足」etc

一挙解決するのではありませんか?

しかし、反面記事のように「正社員」で働くのはいささか辛い。

自ら「正社員」を希望する人はいざしらず、牛馬のように「働かされる」のであれば、私は願い下げです。

政治や芸能の中で生きている方は、元気に長生きをされ活躍されている人が多いですね。

しかし、現実にはそのような方が占める割合は少ないでしょ?

今流にいえば「マイノリティ」。私は残念ながら該当しません。

わが身に置き換えれば、今は厚生年金受給者の夫の扶養家族となり、少額の国民年金受給者の私は日々小さくなって暮らしています。(少なからず私を知っている人にはすぐ判るウソですね。お金は不安ですが家庭では大きな顔をしてる?笑)

しかし考えてみたい「アラ古希」の有効活用!!

・アラ古希の本音(あくまで私の本音)

①もう拘束されて「働きたくない!!」。今まで十分働いた!!

②趣味はやはり趣味?であって、いわば余暇活動であり生きる支柱にならない。

③悲しいかな、心身(頭脳も)出来ることより出来ない事が多くなった

④ところで、いったい何歳で死ぬの? これ以上生きていたら、年金と多少の預貯金があっても不安。子供に頼って生きていける時代ではない。

⑤地域の長寿会、敬老会に入会して下さいとお誘い受けていますが、いまだお断りしています。例え何を言われても、気持ちはまだまだ若い。

⑥ファッションも美容にもまだまだ関心ありありです。

しかし「若くなったね今の高齢者は」と言われても、実際は高齢者の自殺は相変わらず多いのです。

経済や健康理由より、最近は「うつ病、躁鬱病」という精神疾患が多くなっているとのこと。

定年後の心の不調を相談に来られる方の多くの原因は「燃え尽き症候」。

想定されていたはずであるにも関わらず「生きがい」という言葉が、数十年ぶりに若者と同様に突きつけられてアタフタ。

所属先を失った半年目あたりから、ガックリと来られる方が多い様に思います。

その対処として、再度「働くこと」が一番解決しやすいです。

「働く場」を得ることで「承認欲求」を満たすのは老いも若きも同じではないでしょうか。目的が違うかもしれませんが・・・。

 

であれば、「自分の役割」を持つ機会や場所が社会にあればいい訳ですから、今の時代の流れは歓迎です。

ボランティアがある?・・・いやいや、報酬は欲しいですよ。私はね。

しかし、現役時代のように働くことは、心身ともに結構無理がありますし、人生のゴールが見えている今、自由に使える時間は絶対優先です。

私自身、60歳を境に「週に4日」働く事を選択しました。「時間と報酬」を満たすための選択でした。

それなりに見合った収入がありました。

※若者へ「見合った収入」があったというのも、それなりのキャリアデザインをしてきたからです。この点は「今」を大切にという言葉を取り違えると将来きついかも。若い方も老いて行くわけですから、見えない将来ですが計画的な「自己投資」をおすすめしたいです。

私のように、働きたい、人の役にたちたい、人と交わりたい、と思っても「アラ古希」正社員100万人時代へ。は、複雑な気持ちです。

この記事のようになりたいと望む人は果たしてどれだけいるのかわかりませんが、「働き手がいない」「外国人労働者云々」など言っている経営者の方はアラ古希を「短時間労働者」としてドンドン活用されたらいいのではないでしょうか。適材適所であれば社員教育という投資も必要ありません。

極端かもしれませんが、私は「アラ古希」用、最低賃金があっても良いと思っています。(これって同じアラ古希から反感かもしれませんが、小さな子供がお駄賃をもらうのと同じ感覚で良いと思うのです。次世代への投資だと思いましょう。)

現代の若者たちの給与は低すぎます。

企業の利益は、若者の報酬に反映して欲しいと願っています。

そして我々「アラ古希」たちは、今までの体験と経験を活かし、若者をフォローする役割りを担えばいいのです。

しかし、アラ古希達が心しておかねばならないのは、「余計な口出し」をしないこと。

これが採用する側、同僚になる方達には一番厄介なこと。

所謂、小うるさい(舅、姑)にならないように、敬愛されるジジババになりましょう。

それでも、押し付けない「頑固さ」は、大事にしたいです。

生きてきたその人の結晶みたいなものですから、頑固ババジジは、時には必要です。

※追記。。。。枯葉ならぬ濡れ落ち葉のような議員さんへ

有権者の気持ちを尊重して働いてくださいね。皆さんの報酬は私達の血税です。

情けない議会は見るに堪えません。

 

 

 

 

 

「寄り添う」 平成30年11月1日(木)

★秋日射す雀3羽と老木に★

【あたかもその人が感じているように・・・】

カウンセラーとして必要なスキルは「傾聴」「受容」「共感」だと幾度となく教えられました。

しかしながら【あたかもその人が感じているように・・・】は、難しい。

いや、難しいと思うようになったのは最近になってからです。

今まで多くの方のお話を聴かせていただきました。

「あたかもその人が感じているように寄り添いながら・・・」

しかし、体験に勝る「共感」はないと思う今日この頃です。

勿論「体験」は私だけのものであって、「相談者」のモノではないのですが多少は想像力が広がるようになります。

例えば「捻挫」という体験から3年目ですが、一つの身体の故障により生活の上で様々な不便を生じ、当たり前だった「健康」が当たり前でなくなりました。

当サロンで当初『杖』をついて来訪される方が数名いましたし、私の姉も骨折以来「杖」をついています。

そして彼女たちは頻繁に言うのです。

「あー疲れた・・」と。

え!? ちょっと歩いただけでしょ?!(口にはださないが非難しているワタシ)

しかしながら、今、私の身に同じことが起きています。

今は心の中に非難めいた気持ちを持っていたことを恥じ入るばかりです。

ここ数か月、この欄でも書いているように、「感情」を揺るがすことが多発しました。

その都度、『もしかしてあの時のあの相談者の気持ちはこうだったのかしら・・・』

相談者の気持ちとはまったく違うかもしれませんが、それでも自分の「共感」の浅かった事に恥じ入る事が多くなりました。

しかし「体験」は時には「カウンセリング」の邪魔をすることがあります。

自分の物差しで相手を測ってしまいがちになるからです。

そして自分が体験から得た自分用の「トリセツ」を相手に「これ常識よ!!」とばかりに押し付けてしまったりします。

そんな反省の日々を過ごしながら、今日は姉に付き添って病院へ行きます。

「癌」かどうか「生体検査」の結果が出る日です。

昨晩、姉は「どんどん不安になってきている」と言いました。

「大丈夫!!」・・・なんの根拠もないの思わず言った私。

強いて言えば「大丈夫であって欲しい」「これ以上私を不安にさせないで」

という「私のため」の願いのような気がします。

「そうだよね・・・不安だよね・・」と言えなかった私。

あたかもその人が感じているように・・・難しいですね。

オウム返しと揶揄する人もいますが、仕事の時はセオリー通りに言えるかもしれません。

カウンセリングは家族、友人等親しい人には出来ないと言いますが、日常生活でそれぞれが「傾聴」「受容」「共感」が出来るようになれば、自責や他罰から解放されるのではないでしょうか。所謂【対話】のある暮らしです。

 

はてさて、今日、医師の診断が悪い結果だった場合、果たして私は姉に「寄り添える」のでしょうか?

庭に朝日が差し込み庭の老木たちや小さな雀たちを優しく包んでいます。

そういえば、姉が入院していた時病院の窓から見える「夕陽」が好きだと言っていました。

海育ちの私も姉と同様に子供のころから海に落ちる「夕陽」が大好きでした。

それは「きれい、美しい」の類だったと思います。

「明日」が確約されているという安心感で眺めていたような気がします。

しかし、この頃は新しい朝を迎えられたことに感謝するようになり、今朝のように狭庭に朝陽が舞い降りるに情景に畏敬の念が湧きます。

私にとって「寄り添う」という課題は未だ「課題」です。

私に話された方が多少でも楽になったと言われれば、それは年を重ねたからの効用もあるかもしれません。それも嬉しと思う今朝です。

 

 

「人生の終点と優しさ」 平成30年10月15日(月)

★終ありと想う今宵や秋の虫★  

新聞の「お悔やみ欄」を見るようになったのはここ1,2年。

仕事上で必ず毎朝目を通すと言う方がいることは知っていました。

私も商売をしていたので本来なら「お付き合い」という名で「お悔やみ欄」を見ることがあってもよかったのでしょうが、全く関心がなかったというのが本当のところです。

しかしこの1,2年、毎日ではないですが「お悔やみ欄」をみるようになりました。

私が「お悔やみ欄」を見る時は、まず「年齢」です。全て自分の年齢基準で比較してみます。

若い方の死にはその方の生きざまを連想し、取り巻く周囲の悲しみが頭をよぎります。

天寿を全うされたのではと思うご高齢の方に対してはサッと目は通り過ぎます。

目が止まるのは、やや私に近い年齢の方。

その時「命に限りがある」と、痛切に感じるのです。自分の年齢と逆算してしまいます。

『この方と同じならあと2年だな』・・・・

追い打ちをかけて、ここ数日の一連で【命】には限りがあると痛切に感じました。

「がん」と闘っている方には申し訳ないのですが、本か雑誌で読んだことがあります。

「がん」になると「計画的に充実した人生を送れる」と。

終点というゴールが見える訳ですから、時間は勿論、お金、仕事、もろもろ計画的に過ごせるといいうのが、その方(どなたか忘れました)の考えでした。

今の私は、それに相通じるものがあり、「お悔やみ欄」を見て、私自身の終点までの時間を逆算している昨今です。

「ハッピーサロン」利用者の若者の「死」があり、ここまで生きてきた中でもっとも近い近親者(血の濃さより普段の付き合いの濃さ)の「命」をつきつけられた数日でした。

69年間生きてきたわけですが、振り返ってみても私は「人様に優しかった」ということは正直ありません。

もし私の事を「優しい人」だと言ってくれる人がいるとしたら、「そのように生きて来なければ人さまに付き合って貰えなかったから」と、恥ずかしい本音を告白しなければなりません。

交流分析という心理学でも人生を「脚本=シナリオ」といいますが、「人生という舞台で演技をしているワタシ」を日々実感しています。

いっとき流行った「ありのまま」という言葉。今も若者たちが言います「自分らしく生きたい」と。

しかしながら、これほど難題はないなぁと思う私は所謂「小者」なのでしょうか・・・

他人様の悩みを聴かせていただくと言う大それたことを行っていますが、お話を伺うと「○○してこないと生きてこれなかった」という内容が多いのです。

そして、それが「葛藤」となり悩みを生産しています。

私なぞ、69年間、その時々の立場によって自分の「配役」を選び(自分で選択)沢山演じてきました。

不思議なもので、演じているうちにその「配役」が違和感なく「自分」になっていることが「たま」にありました。・・・これを「板につく」というそうです。(由来は能舞台)

前述に戻って書くと、私のなかで演じても演じても「違和感」があった「人様への優しさ、思いやり」ですが、この頃その「違和感」が多少、希釈されてきているように思うのです。

恥ずかしながら若いころの私の人への優しさは「自分のため」という打算的なものであったように思います。だから「違和感」や「葛藤」があったりしたのでしょう。

「お悔やみ欄」をみて、自分の終点をぼんやり考えるようになってきてから「人のために生きる」という言葉も僅かながらかもしれませんが、心にすぅーと入ってくるようになりました。

血の濃い血縁者は少ない事が、今となれば私にとって良かったようです。

お世辞でも立派な生き様と言えない私を頼りにしてくれる人達が「愛おしい」のです。

私自身は結婚も早く「親」になったのも早かったので自身が未熟だったばかりか、もっと酷い欠陥は「愛すること」を伝授されて育った訳でもなかったので人を「愛すること」が出来ませんでした。

自分の子供は「育児書」を頼って育てました。心から「可愛い」と思えなかったのです。子供には申し訳ないと事をしたと思っています。

こんなことがあって、次世代連鎖を食い止めたいという今の活動に繋がっています。

自身の次世代連鎖のくい止め役を担った(選んだ)私は、常に本性を隠したままで舞台で演じてきた訳ですから、違和感だらけで苦しい人生でした。しかし、歳を重ねるという効用でしょうか、「終点」が近づくにつれ、演じなくとも「本物の優しい 主役」に一歩づつ近づいているような気がする昨今です。

とは言え、まだまだですので「長い目」で見てやって下さい。「終点」まで。

★今日は親は代わりだった姉の手術の日です。出かける前に書きました。

 

 

 

 

FM富山で垣田さんに読んでもらい収録したもの。(音源MP3)

【命】平成30年10月8日記

★散る紅葉35歳の『死』無駄にせむ★

死因は「がん」であるが、そこまでに至る一人の若者の死を私は忘れない。

そして無駄にしたくない。

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イジメやハラスメントを受け続け自ら進んで診断を受けたのは30歳。発達障がいと診断され今までの原因が発達障がいの為とわかる。挙句その後、「がん発症」
一昨日35歳で逝去。

◆ピンチはチャンスではない。ピンチはピンチでしかなかった。
これを試練というなら、もう二度とこんな試練を受けたくない。
生きるのをやめたくない。
普通の幸せが欲しい。。。。◆

親御さんから余命を聞いてから、私は彼に自身のことを綴ってみたらと勧めていました。

書くことが好きでFBにも生い立ちを公開で書いたりし始めました。

このCDは【精神障がい者の雇用】に向けた9月のここらいふ講演会に寄せて書いてくれたメッセージをFM富山で垣田さんに読んでもらい収録したもの。

親子でラジオを聞いたというお母さんんから、「今、死にたいと思っている人のお役にたてればいいです」という電話をいただきました。

こうしてCDの名前を見ているだけで泣けてきます。
私に話しかけてくる声、顔、仕草、、思い出されて辛いです。

生きたくても生きることが出来なかったNくん。

もし、「発達障がい」の特性が、周囲に理解されていたらストレスは半減以下で済んだろう。もしかしたら「がん」発症も無かったかもしれない。

国は「自立両立支援」(精神疾患やがんの方が治療しながら働くことで自立を促す)を施策として打ち出しているが、「治療」の中に【心のケア】を重視し、「働く」の中には、社会に向けて【周知・理解・偏見を無くす】など啓発を重視していかねばならない。

行政には当事者に寄り添う「場」と「再スタート」を支援する場が一体化している【居場所】を求めたい。

当事者の声が一番メディアが反応し社会を変える起爆剤になったりする。

今後も引き続き、その場を「設定」していきたい。

 

★「今 ここ」&「命」&「絆」★ 平成30年10月3日記

昨日は姉に付き添い一日病院。いろいろ考える時間になりました。
で、つらつらと・・・

6歳上の姉・・診断が出るのは明日ですが限りなくグレー(悪性腫瘍)
従妹・・「膠原病」と診断がおりる。
同じ病院で入院した訳ではないが二人とも入院。

私の生い立ちに戻るが、父亡き後(私は小一)姉と私を叔父夫婦に預けたまま母親は好きに暮らし始めた。

当時は大変貧乏だった。姉は中卒後、すぐに住み込みで働きに出た。
結果、私一人が叔父の家にいたわけだが、その時に叔父夫婦に授かったのが今、膠原病と宣告された従妹。

姉は結婚して、叔父夫婦の近所に住んでいる。子供は二人。
そのうち一人は40歳目前に癌で亡くなった姪である。
もう一人は遠方に嫁いでいる。

叔父(既に死亡)の娘は(従妹)も富山県だが遠くに住む。

私も20歳で結婚。
姉の子供や従妹とは兄弟のように仲がいい。
私の夫は県外人であることもあり、何しろ、親戚が少ない。
その分、日常で濃密に付き合いがあった。

あった・・と、過去形なのは、お互いの子供や孫がそれぞれ自立し始めたので、親類同士が集まる機会は少なくなったから。

そして今。
姉と従妹がダブルで入院・・・それも、あまり経過がよろしくない。

従妹は心根が大変優しい。40歳で亡くなった姪の為に遠方から毎日のように世話に来てくれて、私の姉夫婦までめんどう見てくれた。頭が下がる。

姉はそれに応えるように、近所に住む従妹の親(今は独居となった叔父の妻)である叔母(認知症)の面倒を見ていた。
姉も糖尿や骨折もあり不自由な身体。義兄も内部障害。

妹を亡くしてから両親が二人で暮らしているため遠方に嫁いだ姉の娘は、日帰りで様子を見に来るというタフな女性である。

こんな面倒みの良い親類だったため、私は今まで「仕事・活動」にと頑張ってこれた。

そして今は、この非常時を切り抜ける為には、私が先頭にたたなければならないと言う事だった。

しかし、そんなに悲壮感はない。
お互いさま!! 母を亡くしてからは姉は親代わりだった。
従妹は姉妹のようだった。京セラドームに「桑田」を観に一緒に行ったのも従妹とその娘。

子育てを終えた従妹は、これからもっともっと楽しみたいと
言っていただけに悔しいだろうな。
気丈な従妹は病名を告げられた時に、一筋涙を流したが後は心配かけないという配慮だろう、めちゃ明るいラインが入る。

泣いて電話をくれた従妹の娘は、従妹と同様、本当に優しく育った。今、毎日、仕事帰りに病院へ行ってる。

従妹からは、「おばちゃん(私の姉)の面倒を見て欲しい」とお願いメールが届いた。
『あなたの方が辛いでしょ!!?』と、内心思ったが、「任せて!」と絵文字付きで送った。

私の腹痛どころではない(10日結果が出る)。
両親早逝で、介護から開放されているとのたまっていたが、そのような訳にはいかないものだ。

今の活動をしていたお蔭で、地域福祉の知識もあり、人様に頼るところは頼るつもりである。
治療費も今後はかかるだろ。・・・これも今から、役所に相談。

10月からちょっとゆっくりできる。と、思っていたが、思うように行かないのが「人生」なんだろうな。

少ない肉親たちのお世話をさせていただこうと【覚悟】した。

しかし、悪い事ばかりではない。このようなアクシデントが起きると、薄くなっていた「肉親」の、「絆」が再び強化され始めてきた。

昨晩も姉の娘とその子供達と話したが、「みんな老いていくし、これからは会うたびにこれが最初で最後かもしれない。と思って生きていかなければならないね」・・と

自身の不調もあり【今ここを生きる】痛切に感じる。

肝心の我が家。
「家出」「離婚」と騒いでいたが、それどころではなくなった(笑)
夫は淡々と、私の応援をしてくれている。
運転だったり、昨日は姉の夫の話相手に行ってくれたり。

想い返せば、結婚当初、私の叔父は失踪癖があり、結婚したばかりと言うのに、夫は行方を探すという役目を進んでしてくれた。新婚なのにビックリしただろ。
それでも嫌がらずに、私の親類と今まで仲よくしてくれている。

我が家の子供達も遠方からは、メールや電話が入ってくる。
最近は自分たちの生活で手一杯となり、我が家の親子関係も薄くなっていた。(これが、私の淋しさの原因)

今回の出来事は、肉親の「絆」の再構築となった。
しかし、二人とも闘病生活は長くなるだろう。
今は「覚悟」をした。
そのうち、根を上げるかもしれない。が、その時はSOSを四方八方出すつもり。<m(__)m>

そして「ここらいふ&ハッピーサロン」
こんな時、大変でしょ?と、心配されるが
この活動があって、私の心の均衡が保たれる。

FBクローズグループでは、「暫く」の間は、電話、メール相談は休むか遅れるかと書いた。
昨日は2本の電話。みんな控えてくれている。
逆に「大丈夫ですか?」というメールを貰ったりで、私を励ましてくれる。

肉親ではない他人だが、「情」が移る。
女性特有の母性本能とういうものなのか、みんな「かわいい」

昨日も急に音信普通になった若者の事が心配で、スタッフに安否確認を依頼して病院に出かけた。
スタッフは確認に住居まで訪ねてくれた。
「生きていたよ!!」と、連絡が入った。
もう、これだけで十分。どれだけ心配したことか。

夕方には「ごめんなさい」とお詫びの電話。
「ちゃんと食べてる?」と、聞いた。

肉親であろうが、なかろうが、人類みな兄弟ww
人は人で傷つくが癒してくれるのも人。
「絆」大事。

いつも最後に書いているがこんな長文は自分自身の為に書いている。今朝は書きたかった。
「決意表明?」みたいなもの(笑)

※追記「今回入院した姉も従妹も、転院組です。最初の病院の処置が悪かった。。。もっと早く気づいてくれたらと悔しい」
【病院選びは命の内】というが、本当だ。

さて、今日はなかなか行けなかった「美容院へ」
そして、今後は合間を見て、行政の予算が決まらない内に【陳情】に、走ります。意欲は衰えていないです。

「行動をしないで後悔したくない」
私のモットはー「不安は行動で解消。行動で得たチャンスを活かす」なので。

この長文を読んでいただいた方に感謝!!

 

【睡眠力】平成30年9月12日記

★列島や自然の猛威に残暑逝く★

自然が猛威をふるった今年の夏でした。

「逝く」と表現したいほど、「残暑」もなくすぐにきた「涼気」

さて、赤ちゃんが眠れなくて悩むという話は聞いた事がありません。が、赤ちゃんも「快・不快」を「泣く」という事で周りに訴えます。

その意味では、大人になるって面倒くさいものですね。
乳幼児期の「快・不快」を受けとめて貰えなかったら、人間に不信感を持って育つと言われています。

私だってももともと睡眠障害だった訳ではありません。
生まれ育った場所は一歩外へ出れば、目の前は海。
夏は家から水着のまま走って海へドボン。

海水浴に行く前の準備は「タライに水をいれる」コト。
帰宅するとタライの水は温まっており水着についた泥を井戸水で流しそのタライへ。
夜は海岸に打ち寄せる波の音を子守唄にして眠っていました。

ただ、悲しいかな鮮烈に残っているこんな思い出の中に「父母」が登場しないのです。
父は小一の時九州の売薬先で一晩で亡くなりました。
一年に正月と盆に会ったくらいだったので悲しみもなく遺骨を迎えました。

「睡眠障害」は自然の中で育った私が、高校生になると同時に離れてくらしていた「母親」と暮らすようになってから。

母親共に暮らすストレスと、住んでいるアパートは市電の音が聞こえる街の中。

眠れないという私に母親が安易にくれた「眠剤」。
毎日服用していた訳ではありません。

何も考えずに眠れた『あの頃」
私達が公平に与えらているハズの「眠り」に今、どれだけの人が悩み苦しみ、病院へ駆け込むか・・・・・

私もその一人でした。
まるでそれまで生きてきた集大成のように更年期に罹患した「うつ病」

でも、お蔭様で寛解後は「違った人生」が始まりました。
根こそぎ「思考や行動、感情」という「心」が変わった訳ではありませんが、それでも「気づき、変化」しました。

「生涯を横軸」で考えるようになってから自分自身が変化していきました。
で、また「行政」ですが。
政治にそれを望めないのか・・・・

いや、諦めず気長に伝え続けよう。ファイト!!
と思う今日は、「熟睡」できたからこそ意欲が湧き出ているのです。

クスリよりご馳走より力を与えてくれる「睡眠」
「睡眠」がしっかりとれる方は「自己肯定感」がしっかり育まれていると言えるのではと思います。

「自己肯定感」は乳幼児期から10歳くらいまで、父母などの保護者から始まり周囲が育むもの。

「子育て」から「終活」までを一点づつ別々に協議したがる行政や私達。

その意味で、先日傍聴した市議会の松尾氏の質問は「幼児虐待」「生き辛さを抱える若者」「終活」は、一連の流れがあり良かったと思っています。

「質問」は横軸でもが「受け止める行政」の思考回路はいつまでも縦軸。
このギャップはいつ埋まるのか。

今朝は7時起床で遅い朝の挨拶でした。
皆さんは既にお仕事についておられるでしょう。

涼しい朝。欲を言えば秋らしい青空を見たいです。
被災地の方々はそれどころではないでしょう。
ヒトって本当に「自分のこと」しかわからないし考えも「利己的」な人が多い。私も然り。
いやはや我が儘な生き物ですね・・・

この長文、お目に止めていただき有難うございます。
今日も良い一日を!!!

【怒りの感情って不要?】平成30年9月11日記

ニセの感情と本物感情と分けて感情を学んだのは交流分析という心理学。
本物感情を「喜怒怖楽」に分ける。。
中でも「怒り」の感情に私達は、いや私は翻弄される。

アンガーマネジメントの研修が流行るところをみると、もて余すのは私だけではないようだ。
この事については、ゆっくり書いてみたい。

怒りというか💢「ストレス」は交感神経が優位になる。
今の私の不調、例えば 腸の動きも交感神経ばかりが優位に立って腸の動きを止めてるらしい。

今日 指摘された 顔面の違和感もネットで調べるとストレスでもなるようだ。

ここでよく書いているが、私の両親は40代で逝った。変化を目前で見た挙句、あっけない死。
なので脳梗塞等に関する症状は過剰に反応してしまう。

体質遺伝ありと言われているのでポックリ逝く覚悟をしていたが何故か今まで生きている。
親友は美人薄明という期間はとっくに過ぎたと茶化すが笑

短命と思うからせっかちなのか、せっかちだからストレスを抱えるのか。

「怒り」の感情は動物にとって命や安全を守る為の大切な感情である。が、その怒りが本物か歪められたものかは自分に聞いてみるしかない。

怒りの下にある感情を整理整頓をしてみる。
それがカウンセラーに話すことで気づく事もある。

しかし自分の事となると情けないかな気づけない事が多々。

疲れもあったが、今朝の新聞で報道された昨日の市議会。
誰に向けて良いか判らない怒りがある。

こんな時は寝るに限る。
早寝と決めた今夜だが、その前に、こうやって書いているだけでも多少は落ち着く。

話す事も良いが書いてみるのもストレスを遠ざける事になる。

 

【自立とは頼れる人を沢山もつこと】

●本数が増える私への電話相談で感じる事●
不安・怒り・憎しみなどの感情を回避出来ない状況を聞きます。その感情から生れる「自己否定」の堂々巡り。

「アンガーマネジメント」や「アサーション」など言葉を知っていても、道具と同じで使えなければ意味がないのです。

親や周囲から「自立」を求められている方も多いし、何よりも【自分自身が自立したい】と思っているはず・・・だから苦しいのですよね。

で、丁度良い記事があったのでアップします。
右は大事なところを大きく抜いてアップしました。

※頼るには「自己開示」大事。次は「アンガーマネジメント=怒りの対処」「アサーション=自己表現」など。 両方に必要な事は自分の感情を捉えることです。遅くはないです。
一にも二にも 訓練・訓練!!

記事を全部読んで下さい。自分を責めることはないですね